【考#61】駄記事を量産することで良記事が生まれる3つの理由とは?

1日10本の記事を書くというと「駄記事ばかり書いても仕方ないのではないか」「じっくり書くべきだ」などと思われるかもしれない。それも確かに一理ある。しかし、駄記事だとしてもたくさん書くことには多くのメリットもある。そこで今回は「駄記事を量産することで良記事が生まれる3つの理由とは」というテーマで書いてみたいと思う。


駄記事を量産することで良記事が生まれる3つの理由とは?

  1. サイコロを振り続けろ
  2. 書く技術が向上する
  3. 自分の考えが整理される

 

1.サイコロを降り続けろ

どんなにつまらないと思う記事でも他人からしたらおもしろいものかもしれない。また2000人のうち1人でもおもしろいと感じてくれるかもしれない。そこから何かが生まれるかもしれない。

 

よく成功者は「成功するためにはサイコロを振り続けろ」とか「打席に立ち続けることだ」などと言う。どれも同じことだ。つまりサイコロを振らないと当たりの目は出ないし、打席に立たないことにはヒットもホームランも打てない。ブログで言えば「記事を書くこと」にほかならない。三振しても内野ゴロになってもいいから、とにかく打席に立たないことには始まらない。サイコロを振らないことには始まらない。


2.書く技術が向上する

駄記事でも書くことにより「書く技術」は確実に向上していく。その結果、次に書く記事のクオリティは向上する。つまり人に読まれる確率はあがっていくというわけだ。記事を書くのは、人に読んでもらうためというのもあるが、自分自身の書く技術の向上のためでもあるのだ。完成は永遠にない。それはどんな大作家でも同じだ。今の自分のスキルに自信がないのなら、書かずにいるよりとにかく書くしかない。前に進むことで、技術は向上していくだろう。


3.自分の考えが整理される

文章を書いてアウトプットしていると、その過程のなかで自分自身の考えが整理されることがよくある。書く前はぼんやりと思っていたことなのに、いざ書いてみると自分がいかにわかっていなかったことを実感させられることもある。また書いてみることによって、自分の考えが整理されてより洗練された考えに成長することがある。よく「人に教えることは自分自身の勉強になる」と言われるが、ブログ記事にまとめることは、それと同じような効果があると考えている。

 

まとめ

駄記事かどうかというのには、絶対的な判断基準はないだろう。人によるものでもあるし明確な基準もない。それなら、以上のメリットがあるので書かないよりは書いた方がよい。あなたは失敗した分だけ成功に近づいているのだ。